トマス・ハーディとアラビアのローレンスとクロテッド・クリーム

Yumiko with Ruby and Jasper - Copyクロテッドクリームといえば西のデヴォンやコーンウォールが有名です。私も過去に何度かクロテッドクリームの生産工場を見学しましたが、そのたびに当地関係者が言うことは「ウチの牛は海から吹かれる潮風を含む牧草を食べているので他とは一味違うんです」とか、「ウチのクロテッドクリームは60%の脂肪分を含んでいるのでコクが違います(平均は55%)」とか。

さて先日ガイド仲間とドーセットに行ってドーセット・アップルケーキを食べた際に一緒に出されたのがドーセット産のクロテッドクリームだったのですが、そのコクと甘味と滑らかさが抜群でした。‘クロテッドクリームはデヴォンかコーンウォール’ということしか頭になかった私には正に目から鱗でした。

in_ph_18_01ケーキもおいしかったし、元学校だった建物をティールームにしているというこのモートンティールーム(http://www.moretontearooms.co.uk/)のことを家に帰ってから調べてみたところ、さまざまな賞を取っていることがわかりました。ここで出されるクロテッドクリームはブラックモア・ヴェイルというドーセットの農場で作られているそうです。

その日私たちはロンドンのウォータルー駅から9:35発のウェイマス行きに乗りました。 快適な列車の窓枠は、まるで映画のスクリーンです。「ダーバヴィル家のテス」「遥か群衆を離れて」などドーセットをモデルにした作品を残したトマス・ハーディ(1840~1928)の世界に近づくにつれ、ますます心が躍ります。まるでテスに会いに行くように。

ロンドンから約2時間半で到着した駅はドーチェスター・サウス。そこからは現地のガイド仲間の案内で車に乗り込み、まずは町の中心にあるドーセット・カウンティ博物館へ向かいました。19世紀のヴィクトリア建築の建物はドーセットの歴史、自然史他この地に関する資料が多く納められています。先史時代の化石、ローマ時代のモザイクの中にトマス・ハーディ縁の品も多くありました。

特にハーディの書斎を再現した部屋にあるものは全て彼が実際に使っていたもので、机の上にあるペンは‘ダーバヴィル家のテス’‘日影者ジュード’を書いた時ものとわかればペンを一気に走らせるハーディの姿が更に鮮明に浮かんでくることでしょう。カレンダーは最初の妻エマと初めて出会った日付がそのままになっています。

in_ph_18_06ハーディについてちょっと知識を入れた後はいよいよハイヤー・ボックハンプトンにある彼の生家に向かいます。1800年に祖父によって建てられたこのコテージでトマス・ハーディが生まれたのは1840年のこと。それ以来彼は34年間をここで過ごしました。父は石工でハーディは読書好きの母親によって8歳まで教育されます。コテージに入ってすぐの部屋の暖炉の前で聴かされた母親の話は後にハーディを作家として育んでいくきっかけとなったのかもしれません。

ここにはハウスガイドがいますのでこのコテージに関して色々おしえてくれるはずです。コテージの前にあるガーデンでは6月ころにはさまざまな花が咲き乱れることでしょう。

その後訪れたのは墓地にハーディの心臓が埋葬されているStinfordの教会でした。亡くなったのは1928年ですが、ハーディは田舎をこよなく愛し、また最初の妻の眠るこの教会に自分も埋葬されることを希望していました。生前は牧師と相談して埋葬の段取りも決めていたにも関わらず、ロンドンのウェストミンスター寺院に埋葬されることになりました。反対する家族、親せき、友人との妥協策として心臓だけがStinfordの前妻の墓に、遺灰はウェストミンスター寺院へ埋葬されたのでした。

ウェストミンスター寺院の‘詩人のコーナーに行けば彼の墓石が見られます。(心臓は実は体から切り離される前に猫に食べられてしまったために「実際にStinfordに埋葬されたのは他のもの」という説もありますが)

さてランチもそっちのけで次に向かったのがT.E.ローレンスが最後に隠遁生活を送ったクラウズヒルという小屋です。彼の伝記とも解される本がアメリカで出版されてローレンスは一躍有名になりますが(後にこの本の影響でローレンスの好まない方向に彼を縛り付けることになる)、近年では映画‘アラビアのローレンス’で更に人気が出た人物です。映画の中ではピーター・オツールがローレンス役を演じています。背丈こそ違いましたが(ローレンスは164センチ、オツールは190センチ)、その美貌、金髪に青い目、そしてアラブ人の着る白いチューニックを着てラクダで砂漠を疾走するオツールは正にローレンスそのものでした。

オスマントルコ進出に対する英国軍のもとでローレンスは戦うのですが、彼が望んでいたことはただひとつ。それはアラブの独立でした。第一次大戦後、独立どころかアラブは英国、フランスの支配下に置かれることになってしまいます。そのローレンスが人生最後の2年ほどは軍からも退いて静かに暮らしたのが質素なクラウズヒルでした。そこで彼は本当に親しい友人を招いたり、執筆したり、また大好きな音楽を聴いて過ごしたのでした。

愛用のバイクで1935年に事故死をする直前には内装もある程度完成していました。私たちが訪れたのは4月のある週日の寒く雨が降っている午後でしたが、この田舎の小さなコテージにはすでに100名近くの訪問客があったということは、ローレンスに関心を持っている人がいまだに後を絶たないことの証でしょう。 「教会は時間で自動ロックされます。先を急ぎましょう!」という声に後ろ髪を引かれる思いで再び車に戻り、今度は彼のお葬式が行われたモートンの村の聖二コラス教会に向かいました。

in_ph_18_10空軍基地に近かったために戦時中ドイツ軍の空襲でほとんど壊れてしまった元の教会は戦後完全に修復されました。ここで素晴らしい窓ガラスに出会いました。壊れたステンドグラスに代わってローレンス.ウィスラーというガラスアーティストが30年もの年月を費やして完成させた美しいエッチングが見られます。

ローレンスのお墓は教会から歩いて5分ほどにある墓地にあります。お墓詣りを終えてから村のティーショップでやっと初めての休憩です。全員が「せっかくドーセットに来たからには」と、‘ドーセットのクロテッドクリーム添えドーセット.アップルケーキ’を注文したのが最初の写真です。

こうして再びドーチェスター.サウスから18:16発の列車に乗り込みこの日の‘ハーディとローレンス、そしてクロテッドクリームのドーセット’の日帰りの旅は終わりました。駆け足の一日でしたが現地在住の現地日本人ブルーバッジガイドのKayoko Hardwickさんが案内してくださったおかげで本当に効率よく周ることができ、皆大満足の1日でした。今まで日帰りでドーセットに行くなんて思いもしませんでしたがそれが可能であることも知りました。

英国の列車料金は早目に予約すれば料金がかなり安くなります。贅沢を言えば、1泊してもう少しゆっくりハーディとローレンス縁の地を周りたっかのですが、今回は下見。またゆっくり訪れようと思います。そして今日はもう一度あのデイヴィッド・リーン監督の映画「アラビアのローレンス」を見てローレンスの世界に浸って過ごすつもりです。


文:タイヴァース由美子
1977年、政府公認の観光ガイド資格であるブルーバッジを取得。以来、30年以上にわたってガイドとして活躍。2003年、NHK ETVスペシャル『イギリス素晴らしき村。豊かな人生と出会う旅』に番組の案内役として出演。2005年、政府公認のドライバーガイドの資格を日本人として初めて取得。

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